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NO.1009 もしどんな女の子も映画を作っていたら
SNS時代に再見したい、日常の変容の物語(パート1)
12/8 Sat.
  • 1

    陸地にて


  • 2

    短篇小説


  • 3

    ひととき-2002年5月15日-


  • 4

    男のサービスエリア


  • 3

    もしどんな女の子も日記をつけていたら

1995年に中野武蔵野ホールで「すべて女の子カントク」と題して、河直美、和田淳子、歌川恵子など15名の女性映像作家の作品が集大成的に上映されたが、日本の個人映画史の中で特に80年代後半から90年代前半は女性作家の時代ということができる。その中にはアイデンティティや家族の問題など個々の日常にフォーカスした作品が多く含まれており、その後の個人映画に影響を及ぼしているが、思い返せば彼女たちは、誰もが日常をSNSで変容させて発信する現在を予見させる先駆者でもあった。
今回は、「女性作家の時代」の次の世代が制作した2000年頃の作品を中心に、女性映像作家の嚆矢であるマヤ・デレンと、トイカメラと独白による直截な表現が今なお現代性を失わないセディ・ベニングの作品も併せて上映する。


    会場 Venue

  • イメージフォーラム3F「寺山修司」
    東京都渋谷区渋谷2-10-2

    TEL: 03-5766-0116

    当日受付

  • 入場料:一般700円 会員500円


タイムテーブル

日付 12/8
15:00


上映プログラム

陸地にて マヤ・デレン/16ミリ/15分/1944
海岸に打ち寄せられ横たわるマヤ・デレンの身体。流木の間を這い上がってゆくと、そこには正装をした紳士淑女たちがチェスに興じている。官能的、触覚的作品。

短篇小説 日置珠子/16ミリ/21分/2000
ある女性作家が自身の短編小説について語るという設定で、母、小学校の同級生、映研の後輩に関する3つのエピソードが描かれる。90年代後半から「愛おしい女性たち」をモチーフに、私小説的な作品を制作してきた日置珠子による劇映画で、本作では特に「作者=主人公」という私小説的虚構がうまく生かされ、日常的な物語に豊かなリアリティを与えている。ぴあフィルムフェスティバル2001審査員特別賞。

ひととき-2002年5月15日- 佐竹真紀/デジタル/3分/2003
誰もいない旅館のような座敷が舞台。それが現在の時間としてビデオ映像で映し出されると、そこにフラッシュのように同ポジションの写真が過去の時間として嵌め込まれる。数人の女性が何かのお祝いで集まっていることを物語る写真。空間が持つ記憶を鮮やかに浮かび上がらせた、映像と写真アニメーションの融合。(IFF2004カタログより)イメージフォーラム・フェスティバル2004奨励賞。

男のサービスエリア 樋渡麻実子/デジタル/41分/2000
自らの死に場所を求めて彷徨った父親の足跡を巡る娘の旅。母親、異母兄、伯母、遺体の第一発見者などのインタビューを交え、それまで知らなかった、死に至るまでの父親の後半生に迫る。雪深い東北から南洋のパラオまで、その風景から浮かび上がってくるものはその場に確かに存在した一人の人間としての父親の姿。(IFF2001カタログより)イメージフォーラム・フェスティバル2001入選。

もしどんな女の子も日記をつけていたら
セディ・ベニング/デジタル/9分/1990
ピクセルヴィジョン(オーディオ用カセットテープに録画するトイカメラ)を自分と自分の部屋に向け、女の子としての、そしてレズビアンとしてのアイデンティティと自尊心を求めていく。カメラは告白者と告発者の二役を交互に演じながら、社会の偏見に引きずられた物の見方に対する作家の怒りや不満を、しっかりととらえている。(IFF1996カタログより)