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No.1034 現実を見る―実験の新時代
2021 3/7.

      タイムテーブル

    日付 3/7
    14:00

      会場 Venue

    • イメージフォーラム3F「寺山修司」
      東京都渋谷区渋谷2-10-2
      TEL. 03-5766-0116

      Image Forum 3F "Terayama Shuji"
      2-10-2, Shibuya, Shibuya-ku
      TEL. 03-5766-0116

      当日受付 Door

    • 一般1回券700円/会員1回券500円(15分前より受付)

  • 南岸沿

    南岸沿

  • ブレイクタイムNo.3

    ブレイクタイムNo.3

  • 美しくあいまいな日本の私たちt

    美しくあいまいな日本の私たち

  • 遥か白熱光

    遥か白熱光




イントロダクション

詩人の谷川俊太郎さんは「こんなつまらない世の中からは早いところおさらばしても悔いはない」と語っています。「あれれ、どうしちゃったんだろう」とそのコメントを読んだ直後は思ったけれど、なんとなく分かってきました。
蔓延している最近の日本の文化といえば伝統か癒しばかり、そこで止まっているから現代になかなか直結しない。映像の分野に限っていうと、どうもフィルムからデジタルの時代に移行する要が欠落していると思われるのです。いわゆる保守化の進行です。
均一化された作品ばかりが作られる時期には「芸術は何でもあり」と叫びたくなりますが、実際は一言で規定できる性格ではなく、また多くの誤解も招きます。例えば、ウケを狙って寿司のネタを床にぶちまける行為を撮るのもその一環と捉えられると困ってしまいます。「芸術は何でもあり」はこれまでにも何度か使われたけれど、しかしその様相はいつも変化しています。何故なら現実は常に動いていて、次の時代の指標を示すのはアーティストたちに他ならないからです。
この企画は、私も含めて当事者であるアーティスト3人が自作を見せて語り、新時代のエクスペリメンタルがどのように構築していくかを模索する試みです。ぜひとも創作現場からの声を聞いてください。(中島崇)

イメージフォーラムが設立以来扱ってきた非商業的で、映像表現を追求するような映画は「実験映画」と呼ばれたり、「個人映画」と呼ばれたりすることがあります。では、映画における「実験」とは何なのか。新型コロナウイルスの感染拡大による2020年の自粛期間中に、ご自身で書かれた「『実験映画』の名称について」という文章を映像作家・中島崇さんに見せていただいたことが今回の企画につながっています。そこには「映画の4つの基本分野(フィクション、ドキュメンタリー、アニメーション、エクスペリメンタル)の再考を促し、互いの往還を繰り返し文化的な価値を高めていくことが大切ですが、現実的には経済の世界と同様に格差が広がっています」と書かれていました。
映画が生まれて130年あまり、メインストリームである商業映画に対抗するカウンターカルチャーとして生まれたともいえる実験映画、個人映画も、前衛映画と呼ばれた時代から数えると約100年の歴史を持っています。その短くない歴史の積み重ねの上でこれからの「実験映画」にはどのような役割が期待されるのでしょうか。
今回のシネマテークは、映像作家であるのみならず、イメージフォーラムの設立メンバーのひとりでもあり、上映活動を通じて日本の実験映画、個人映画の歴史に接してきた中島崇さんと、映像をひとつの手段として表現活動を行なう二人のアーティストの作品上映とトークで構成し、「新しい映像表現とは何か」を考察します。(イメージフォーラム 門脇健路)
 

上映作品(4作品/44分)

南岸沿(なんがんぞい)  中島崇/8ミリ(デジタル上映)/3分/1971
ブレイクタイムNo.3(収録映像)  玉木晶子/デジタル/11分/2016
美しくあいまいな日本の私たち  トモトシ/デジタル/19分/2019
遥か白熱光  中島崇/デジタル/11分/2014

※上映後には作家によるトークショーあり。(15:30終了予定)


 

作品解説

南岸沿(なんがんぞい)
今はどうか知らないが、僕の青年時代にはモノを創ろうとする人間はたぶんみんな旅に出ることに憧れた。映画フィルムは高価なので、僕は写真を使ってその感じを得たいと思い、友人を出演させて7枚の連続写真を撮った。野外公会堂の客席の向こうの林の中から男が現れて、手前に来て、再び去っていくという単純なナラティヴを試してみたわけである。3年後に、この写真の存在を思い出して映画にしてみたいと思った。写真を映画カメラで接写して、ほかに2種の実写の映像を何カットかに分けて挟み込んで3分の、3つの要素から成る映画を作り上げた。(中島崇)

ブレイクタイムNo.3
現実の私と映像の私が交差し、現実と映像を越境する様子を描いたパフォーマンス作品です。それぞれの人が自分が認識した世界を見ているのだとしたら現実とは一体何なのだろうという問いから本作を制作しました。現実と映像を越境することで自分の認知が曖昧で不確定なものであるのではないかという、認知のずれを共有する場を提供することに挑戦しました。(玉木晶子)

美しくあいまいな日本の私たち
作者自身による6つの異なったパフォーマンス。作者の振る舞いによって、都市生活者の挙動が一時的に変容する様が記録されている。(トモトシ)
せわしなく動いている人の群れに簡単な実験を仕掛ける。結果、彼等の生真面目で滑稽な行動パターンがあぶり出される。その舞台となるのは2020年にオリンピックを迎える日本の首都、東京。そこに暮らす人間たちが日常の中で暗黙のうちに従ってしまっているルール。果たしてそれは美しく誇らしいのか…。羊飼いのように人びとの群れを淡々と誘導する作者は観客である私たちにも問いかける。(イメージフォーラム・フェスティバル2019カタログより)

遥か白熱光
太陽が昇る場所を探しに果てしない旅をする男。この中国の有名な寓話から遥か時を経た今日では、無数の電光が地表のあちこちできらめき、もしすべてがひと塊になればひょっとして太陽と同じぐらいのエネルギーを持つのかもしれない。しかしこれらの人工光は臆せずしてじっと居座り、昇る場所探しというロマンはここには存在しないのである。「三幅対」「寸前の光景」「叫び」の3つのパートから構成される(中島崇)


作家プロフィール

玉木晶子
1983年生まれ。イメージの持つあやうさについて「見る」という経験から問い直す表現活動を行っている。主な活動歴に、「エマージェンシーズ!038 『A Pile of Coins』」(NTTインターコミュニケーションセンター[ICC]、東京、2019)など。

トモトシ
1983年山口県出身。大卒後建築設計に携わる。2014年より映像作品を発表。主な展覧会に「ヘルニア都市」(TOMO都市美術館)、「有酸素ナンパ」(埼玉県立近代美術館)、「あいちトリエンナーレ2019」(豊田市) がある。

中島崇
1951年生まれ。1977年に映像に関する配給、上映、教育、出版活動を行なう目的でイメージフォーラムを共同設立。イメージフォーラム・シネマテークのディレクター、「月刊イメージフォーラム」の編集長などを務める。大学講師。その他の作品に『セスナ』(74)、『FIVE DAYS』(03)、『歓声』(12)など多数。