イントロダクション
イメージフォーラム・シネマテークのはじまりは1971年にある。それから53年。
共立女子大学佐藤洋ゼミナールは、シネマテークで上映されたフィルム・ビデオ、関係資料を調査・整理するプロジェクトを、イメージフォーラムの協力のもとに、2024年度からスタートした。今回はその第1回の報告上映会である。
整理した作品の中から、学生が選定した作品をデジタル化して上映する。
飯村昭子作品・第六整形外科作品・鈴木志郎康作品・峰岸恵一作品・上田祥晴作品・大町綾子作品を上映し、上映終了後には、1970年からシネマテークの上映を担ってきた中島崇さんに、お話をうかがう。
整理したフィルムと資料は、年度も様式もバラバラの作品である。
作家の方々やシネマテークをつくってきた方々へのインタビューをかさねながら、過去の作品をみずみずしくとらえられる関係と仕組みを思いえがいてきた。これから10年ほどの時間で、シネマテークをつくりあげてきてくださった人たち、作品たち、彼らがつどった部屋を大切にする調査と研究をつみあげていきたい。
学生たちがイメージしてくれた第1回上映会のキャッチ・フレーズは「DAWN」。若い世代からみれば、過去の作品が夜の闇の中からふたたび光をまとって姿をみせてくれるような感触を得たのではないだろうか。光の尊さも闇の尊さも、繊細にあらわした詩のような作品たちの上映会に、ぜひいらっしゃってください。
(共立女子大学佐藤洋ゼミナール)
*本プロジェクトは、共立女子大学の「共立リーダーシップ」教育の一環として実施しています。
※14:00の回上映終了後トークあり ゲスト:中島崇(映像作家、元イメージフォーラム・シネマテーク ディレクター)
上映作品:解説
HI・LITE/第六整形外科/8ミリ/10分/1971
凩/第六整形外科/8ミリ/12分/1972
金管/第六整形外科/8ミリ/4分/1972
陽に焦がされた風景/第六整形外科/8ミリ/6分/1973
これらの作品の特徴は、強い光や点滅、揺れといった視覚効果が多いことにある。映像制作のキッカケになったというスタン・ブラッケージの影響がうかがえる。『凩』では、葉をとったショットや、水の中から撮ったようなショットが印象的。風景と自身が一体化する感覚の面白さなどを、ショットや映写スピードから表現している。日記の延長のごとく映像を撮ることをイメージしていたゆえに、第六整形外科作品は、作品ごとのタイトルが明確ではないことも特徴である。
第六整形外科
本名・隈元寛英。1970年、桃山学院大学在学中に反映像グループを結成、関西ではじめての実験映像の大規模な上映会「アンダーグラウンド・デモンストレーション」を開催。自らも実験映画製作をはじめる。大阪の布施で実験映画・自主映画を上映する映画館「怨闇(オナン)」の運営に参加。1973年に東京・福生に移住後も映像制作をつづける。現在は、宮崎県都城市でアヴェロンというパン屋さんを経営している。
【フィルモグラフィー抄】
『I found out』(1971)『HI・LITE』(1971)『断末魔の立泳ぎ』(1971)『金管』(1972)『凩』(1972)『陽に焦がされた風景』(1973)『喘嗚』(1973)『蜉蝣』(1974)『向日葵』(1974)『第六のドーンとやってみよう!』(1978)
(担当:神内穂花・塚本凜音・藤田諒子・森下菜々子・山口ゆり花)
Mon Petit Album/飯村昭子/16ミリ/15分/1973
異国の風景と人々、生き物などを透き通るように二重映像で映し出す。ジャック・べカールの音楽に合わせた詩的な作品。また、小杉武久 小池龍などタージマハル旅行団のメンバー名がタイトル・クレジットに記されている。
飯村昭子
1936 年生まれ。作家、翻訳家、そして映画作家。人生の多くをニューヨークで過ごす。早稲田大学仏文科卒業。
1960 年代から 1970 年にかけて、「若い生活」(日本社)誌編集、小林コーセーパンフレット編集、「話の特集」編集、「UNDERGROUND CINEMATHEAQUE」誌編集。1970 年代初頭、ニューヨークに在住し、「美術手帖」誌などにニューヨークのアンダーグラウンドシーンに関する記事を積極的に寄稿し、記者や翻訳活動に従事。訳書に「メカスの映画日記」(1974)、「メカスの難民日記」(2011)など 。また、1982 年から 1995 年までニューヨークの日系新聞「OCS News」の編集長を務めた。
【フィルモグラフィー抄】
『Taka and Ako』(1966、飯村隆彦との共同作品)『Blinking』(1970)『Mon Petit Album』(1973)『A Late Lunch』(1985)『Double Portrait』(1973-1987)『I Love You』(1973-1987)
(担当:小室碧音・伊田早織・鳴海悠未・堀内千花・横溝穂香)
WIND UP!/上田祥晴/16ミリ/6分/1993
DANCE/上田祥晴/16ミリ/7分/1993
『WIND UP!』は、上田が指導していた共立女子中学の学生たちの絵画実習作品を、アニメーション化した作品。8mmで制作された『Still Life』をイメージフォーラム映像研究所にて16mm作品として改作した。「学徒動員アニメーション」シリーズの最初の作品「この作品で使われている絵はアニメートすることを前提に描かれたものではなく、それぞれ独自の絵画空間を創造するべく描かれたものである。時間(動き)を止めることによって不変の空間を持ったこれらの静物画に再び動きを与えることで新しい空間をつくろうとする試みである」〔出典「ヤング・パースペクティブ1993」『ImageForumCINEMATHEQUE』Volume.92(1993年5月)〕。なぜ絵が動いて見えるのか。不思議な感覚がわきおこる。
『DANCE』は、上田が個展のために描いた絵画作品を、アニメーション映像として動きが感じられる最小の絵画枚数で動画化を実験した作品。12枚の絵画によって、正体不明のカラフルな生物たちが運動している。絵画空間と映像空間の虚構性に関心をむける上田の作家性が感じられる。
上田祥晴
1958年埼玉県生まれ。筑波大学大学院芸術研究科修了後、埼玉県立川本高等学校教諭をつとめたのち、1988年(昭和63年)から、2024年(令和5年)まで共立女子中学高等学校美術科勤務。イメージフォーラム映像研究所第15期生として1991年に映像制作を学ぶ。指導する学生たちの絵画作品を映像化する「学徒動員アニメーション」シリーズを制作。自らの絵画作品を映像化する作品と共に、絵画空間と映像空間の関係性に関心をむける。
【フィルモグラフィー抄】
『Max Ernst Collagen』(1991)『Ritual』(1991)『STILL LIFE』(1991)『木霊』(共同制作作品、1991)『DANCE』(8mm版、1992)『螢火』(1992)『WIND UP!』(1993)『DANCE』(1993)『Reproductions』(1993)『SKULL』(1995)『DRAWING』(1995)『うろ覚えのキューピーダンス』(1996)『The Life of Black Telescope』(2024)
(担当:清水萌絵・藤倉理咲子・ハンラン・萩原華・福田秋華)
夏の記憶 FILM CANVAS/峰岸恵一/16ミリ/9分/1984
暗闇の中に時折貫く光と音。観ているうちに自分の夏のきらめく記憶を掘り起こして重ねたくなってしまう作品。
日常の見慣れた風景や写真を様々な仕掛けをとおして変形させ、見る側の意表をついた世界を見せる。抽象絵画ならぬ抽象映像、フィルムに直接光を当ててつくりだした作品。
峰岸恵一
1954年栃木県足利市生まれ。多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業後、(株)レオン自動機に入社。16ミリPR映画制作を担当。業務の傍ら、イメージフォーラム映像研究所に通い(第5期生)、実験映像を学んだ。アニメーション80などに参加し、映像作品を発表している。
【フィルモグラフィー抄】
『MY GRAPHITY』(1977)『MEMORY』(1977)『虚空虚像』(1980)『INNER BALL』(1981)『ICECREAM CONNECTION』(1981)『PROCESS』(1981)『PULSE』(1982)『PULSE3』(1982)『OUT』(1983)『CAN or CAN’T』(1983)『DIRECT』(1984)『夏の記憶』(1984)『AJIA GAME』(1985)『CHIP TOP』(1986)『REFLEXTION』(1987)『PRINT』(1988)
(担当:新藤胡桃・田村彩夏・平山薫子・中村彩夏)
反復横跳び/オオマチアヤコ/8ミリ/4分/1999
体操着を着た女性が体育着で反復横跳びをする度に、神社や公園、道端などへ移動する。フレームの外への移動がコマ撮りのような感覚を生む。「次はどこへ行くのだろう」と好奇心をくすぐられる作品だ。
オオマチアヤコ
1998年・1999年、イメージフォーラム映像研究所に通い、第22期生・23期生として実験映画を学ぶ。現在は、ドラマのメイキング撮影や特典映像のディレクション・編集をしている。『反復横跳び』は、オオマチの活躍のスタート地点なのかもしれない。
【フィルモグラフィー抄】
『反復横跳び』(1999)『想い出の捨て方』(2000)『陽だまりの彼女』メイキング撮影&編集(2020)『くちびるに歌を』メイキング撮影&編集(2020)『TOO YOUNG TO DIE!若くして死ぬ』(2020)メイキング撮影&編集『美しい彼』(2022)メイキング撮影&編集『xxxHOLiC』(2022)メイキング撮影&編集『パリピ孔明』(2023)メイキング撮影&編集 ・mograg gallery Youtube『南平記』#1〜#15 (2023)撮影&編集『朽ちないサクラ』(2024)メイキング撮影&編集
(担当:大坂麻亜那・金田ゆめ・釜﨑みなみ・佐々木梨名・山田彩乃)
玉を持つ/鈴木志郎康/16ミリ/3分/1979
「100フィート・フィルム・フェスティバル」に出品された、3分間の爽やかなホーム・ムービー。明るい日射しの中で女達が大小さまざまなガラス玉を持って遊んでいる。テーブルの上を転がしたり、透かして見たりする楽しいひとときを、作者の詩の朗読とともに、さりげなく捉えた作品。
鈴木志郎康
1935年生まれ。2022年9月8日没。1952年ごろから詩を書き始め、早稲田大学第一文学部仏文専修を卒業。1961~1977年に、NHKのカメラマンとして勤務する一方、詩作を続け、同人誌「凶区」を創刊。1968年に詩集「罐製同棲又は陥穽への逃走」でH氏賞を受賞。2002年、詩集『胡桃ポインタ』で高見順賞、2008年に「声の生地」で萩原朔太郎賞を受賞。
1960年代半ばから個人映画の制作も始め、一貫して日記的、身辺雑記的な空間として映像作品を作り続けた。代表作は、『日没の印象』、『15日間』など。 1976年からイメージフォーラム映像研究所専任講師、1990年から多摩美術大学教授を務め、後進の指導にも尽力した。
【フィルモグラフィー抄】
『日没の印象』(1975)『草の影を刈る』(1977)『15日間』(1980)『比呂美―毛を抜く話』(1981)『眺め斜め』(1983)『荒れ切れ』(1984)『風の積分』(1989)『衰退いろいろ2002』(2002)『極私的に遂に古希』(2005)『極私的にコアの花たち』(2008)