イントロダクション
画家がキャンバスに絵の具を塗りつけるように映像作家はフィルムに光(とその他のもの)を焼き付ける。全て16ミリフィルムで上映されるこのプログラムでは、ブラジルという広大で多様な大地に点在するアーティストランフィルムラボ(アーティストによるアー ティストのためのフィルムラボラトリー)で製作された作品群を紹介する。植物や自然/文化(人類)との身体感覚のあり方、有形の物質として冒涜された肌膜、プロジェクターを通過する瞬間に儚い状況として存在する出来。これらの作品は商業的な”映画”とは無縁の見返りを期待しない各作家の個人的な興味から発生した。これらはむしろ”活動する写真”として呼ばれるのが相応しいのか?(キュレーション・文:丸山徹也)
作品紹介
タイプフィルム・アン・アーマリー・ショー ジョアン・レイナルド/ 16ミリ/ 4分/ 2022
カメラを使わずにフィルムとタイプライターを使って制作されたアニメーション作品
ワイルドフラワー モイラ・ラコウィッツ/ 16ミリ(ダブル・プロジェクション)/ 5分/ 2023
『ワイルドフラワー』は現在も制作中のエクスパンデッド作品で、2画面で投影され、イメージにおいての過程とその繋がりが映画を牽引する。繊細な植物画から始まり、花のネガ、主観的な海岸の風景、漁師の日常生活を経て、心臓の鼓動で最高潮に達する。
無題(3月) 丸山徹也 / 16ミリ(ダブル・プロジェクション)/ 10分/ 2024
1月、2月、3月。
*標準フレームレートである1秒24フレームであっても、プロジェクターはどれもまったく同じ速度で動作することはない。数字には表れない効果(欠陥)があり、この「不完全さ」はまるで月の軌道のように長い変化の中で私たちの網膜の知覚において明らかになる。
水の死体/閉じ込められたフラックス ヘルダー・マルティノフスキー / 16ミリ/ 14分/ 2020
水の塊は重い雲として現れ、山を越えて地中から湧き出て泉となり、川になる。 それは病的な障害に遭遇するまで、彼ら自身の混沌の調和の中で組織化されたエネルギーの流れとして彼らの進路をたどる。
ウォールデン・ストリート デュオストラングロスコープ / 16ミリ(ダブル・プロジェクション/ 3分/ 2019
自然は視覚を生み出す。視線は、まるでボートのように、空を背景に木々の葉に導かれてさまよい歩く。かつては一見ありふれたものだった、簡単に観察できる共通性のイメージは、旅を近くて遠い自然との出会いにする。消滅しつつある風景、動き回るものを見るという、ますますありそうもない行為の中でさまよう視線。『ウォールデン・ストリート』は、私たちがスクリーンを見る方法によって時間の中で停止させられたロードムービーである。この16ミリバージョンでは、それは別の形で戻ってきて、イメージの展開の化学的変容を生み出した植物の断片をフィルム皮膚に刻み込む。私たちは、私たちと空の間にあるものを見る道を再び歩み始める。それは、インスタ
グラムの盲目さ、つまり瞬間の文法からの逸脱である。
コンシダー Ж / 16ミリ/ 3分/ 2024
花火のような爆弾、柔らかく黒い空に映るテレビで流される戦争の演出、映画のベルベットに光が点在し、真剣な反射が見られない、恒星を思索する。ガザで亡くなった人々を偲んで、星々を。
ルーシーを思い出す マリア・ミオン/ 16ミリ/ 3分/ 2022
誰かのイメージを思い出すためにそれが変化または消え去るまで何回記憶にアクセスする必要があるだろうか? この映画は、さまざまなアナログ技術を使用して写真を複製する順序を通じて、記憶の断片化を取り上げている。
ブリーチファーム リジア・テイシェイラ+フランシスコ・グッソ/ 16ミリ/ 3分/ 2022
16ミリでの光化学実験。野生のヒマワリから作られたエコ現像液で現像されたフィルムに、次亜塩素酸ナトリウムを介在させて手作業で色付けと調色を施した。
丸山徹也
1983年、横浜生まれ。映画、パフォーマンス、サウンド、インスタレーションとそのすべてを学際的に実践するアーティストである。彼の作品は日常的に見受けられる誰も気に留めない記録としての、ファウンド・フッテージの素材やその質感の再文脈化から始まっている。彼の作品は各国の映画祭、美術館、ギャラリーなどで幅広く展示されており、ハイチの同名民話から着想を得たデビュー作は、2018年のVIII FestivalMárgenes(マドリード、スペイン)で最優秀作品賞を受賞した。現在リオ・デ・ジャネイロ在住。アーティストが運営するフィルムラボ 「Megalab」 を設立し活動している。