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NO.806 部屋の時間
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部屋の時間 個人生活の最小単位である「部屋」という空間。映像作家にとってそこはアトリエでもあり、被写体でもある。このもっとも親密な空間に視線の介入を許す試み。今回は90年代後半に制作された作品を4つのプログラムにセレクションした。
「変形アドレサンスの部屋」では、女性作家による身体、セクシャリティの視線を追う。単なる内情独白的な演出に陥りやすい女性の身体/性の問題を作者が独自の構造で虚構化、対象化し、部屋の中をデコラティヴな"私"に変換する。
「ナイーヴの部屋」で展開させるのは、何気なく壁のしみや雨垂れを目で追っている時などに誰にでも突然訪れるイノセントな造形思考の瞬間である。身体も気持ちもリラックスして「ふと・・・」が忍び込みやすくなるのは、往々にして一人で部屋の中にいる時間。静かだが確信に満ちた由無し事が展開される。
「トリレンマの部屋」では映像作家山崎幹夫が自らの部屋で(部屋を)撮影する作品を作るうえで、3つのゲームの規則を決めておく。通常の映画からすれば"3重苦"とも言える厳しい規則である。しかし、いやそれゆえに3年の年月をかけて自らをこのゲームの主催者-参加者とするモチベーションとなるのだ。まるでその苦しみ=クリエイティビティが窓から漏れたかのように、流れる雲が3色分解されている様が非常に印象的。 「カンバセーションの部屋」ではここ数年のビデオ作品に顕著に見られる"半演出"会話体ドラマの良作を特集。登場人物は作者にとって近しい人物であるがゆえに、決まり切った「映画」のタームで思考せず、おおまかな話の流れを決めておき、アドリヴやリアクションも含めた生きた関係をそのまま物語の中に溶け込ませている。全てを見回し、コントロールする"監督"ではなくて、気に入った部屋に気に入った人々を集めて、ハッピーな空気をにじみだす、ネットワーカーとしての位置に作者はいる。こういったアプローチで作品を作りたいと思う人は、案外多いのではなかろうか?(澤隆志) |
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つち
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グータリプトラ
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受付(各回入替制) 当日900円/会員600円 2回券1500円 <上映作品> |
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