国内外の映像アート作品の上映、レクチャーを定期開催。古典的名作 から、最新の実験映画まで

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2005/6/26
マイケル・スノウ映像展
「私はプロではない。映画作家の描いた絵、ミュージシャンの作った彫刻、画家の映画、映像作家の音楽、彫刻家の絵、映画作家の彫刻、ミュージシャンの映画、彫刻家の音楽ノ それが私の仕事であり、ときには全部が一緒になっている。同時に、私の絵の多くは画家によって、彫刻は彫刻家によって、映画は映画作家によって、音楽はミュージシャンによってなされている。それぞれ別個の努力ではあるが、いずれのメディアであっても純粋性を志向する傾向がある。映画の固定性、静止したイメージ。彫刻の物体性。光と時間。」(マイケル・スノウ)

自作解説
波長●1年ほどのノート、思考、小言などの後に66年、12月のある週に撮影され、67年5月に編集、最初のプリントを見た。自分の神経系、宗教的直感、美学的概念の総和を作ってみたかった。等量の美と悲哀がそこで繰り広げられる時間のモニュメントを設計し、純粋な「映画」な空間と時間を、「イリュージョン」と「事実」の均衡を、見ることのすべてを決定的に叙述しようとした。この空間はカメラの(観客の)目から出発し、ついで空中、さらにスクリーン上、そしてスクリーン(心)のなかに存在する。映画は一番広い視野から最後の一番狭い視野まで45分かけて進む連続的ズームである。24メートルあるロフトの一方の端にカメラを固定、他方の窓の列と道路を撮った。この環境とそこで起こる出来事は宇宙的に見て等価である。部屋(ルーム)と画角(ズーム)は死を含む4つの人間的出来事によって中断される。それぞれの場面の音は、同時録音、音楽、話し声だが、40分間に最低50HZから最高12,000HZにいたるサイン波の電子音と同時に起こる。それは、映画と音楽のみが提供しなければならぬ予言と記憶の贈り物を活用しようとする、完全なグリッサンド(映画のほうはクレッシェンドだが)であり分解スペクトラムである。

←→●『波長』との関連から変わって、『←→』では光りより運動を通じて超越することを意図した。他の作品よりパラドックスが少なく、ある意味でドラマも少ない。より「具体的」でより客体的だ。『←→』は彫刻的である。それはまた一種の知覚の(そして法と秩序とその超越の概念についての)デモンストレーションないしレッスンである。教室が舞台だが、それはあらたな観客と映像の関係を提示したとも見ることができる。私の映画はみな(私にとっては)心に、ある状態ないし意識を暗示する試みである。私の映画はすべて「リアリスティック」な映像を信じることのタイプと質をコントロールしようとしている。『←→』でいえばはじめに「野外」の自然主義的なショット、緑があり、次に(私には)非常に抽象的と思えるに充分なほど長く「室内」のシーンが続く。
この「抽象性」は窓の外の男が見えたとき(またしても私にとって)スリリングな形で壊される。この種のことがすべてのシーンで人間とともに起こる。彼らがどう現れどう消えるかが美しい(と私は思う)。

マイケル・スノウ●1929年トロント生まれ。美術家、ジャズ・ミュージシャンでもあり、写真・映像他分野でも活躍している。60〜70年代のアメリカ構造映画の代表的な作家である。主な映像作品は『波長』(66-67)『←→』(68-69)『セントラル・リージョン』(70-71)『じゃあ、また』(90)『リヴィング・ルーム』(00)など。
波長
受付
一般900円/会員600円

上映作品
波長 16ミリ/45分/1966-67
←→(バック・アンド・フォース)
 16ミリ/52分/1968-69

 

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