国内外の映像アート作品の上映、レクチャーを定期開催。古典的名作 から、最新の実験映画まで

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クルツ・ウント・グート ll
ドイツ・ショートフィルム・コレクション
2006/11/18,19,23,25,26

近年とりわけ注目されているドイツのショートフィルムの大規模特集プログラム。刺激的な4つのテーマ(愛、異文化、老い、タブー)の27作品から、将来の大作家をいち早く見つけよう!

  • 異物

    異物

    受付

  • 当日500円
  • 先着150名様に公式カタログをさし上げます

    上映作品

    Aプログラム ユーアンドアイ

  • 私の両親
      ネーレ・レアーナ・フォルマー/35ミリ/18分/ 2003
  • 異物
      カティヤ・プラチュケ/35ミリ/27分/ 2002
  • アンナオットーアンナ
      クレメンス・ピヒラー/16ミリ/10分/ 200
  • このままでいて
      スヴェン・タディッケン/35ミリ/15分/ 2002
  • 出発
      フローリアン・ミシャ・ベーダー/35ミリ/11分/ 2001

  • Bプログラム 近くと遠く

  • フィノウ
      ズザンネ・クヴェスター/16ミリ/8分/ 2002
  • 東独国家保安省文書復元についての教材用映画
      アンケ・リンプレヒト/16ミリ/12分/ 2000
  • うち・そと・モンゴル
      ゼバスチャン・ヴィンケルス/35ミリ/21分/ 2002
  • 覚え書き
      ファティマ・アブドラヤン/16ミリ/15分/ 2002
  • ハウラーハウラー
      ティル・パッソウ/35ミリ/26分/ 2001
  • 東京のある水曜日の夜
      ヤン・フェアベーク/ビデオ/6分/ 2004
  • 空の映画
      ジスカ・リッケ/35ミリ/26分/ 2004
  • 自由選択
      ダニエル・クンレ、インモ・リューデマン/ビデオ/6分/ 2001

  • Cプログラム 若者と老人く

  • グレゴアの大発明
      ヨハネス・キーファー/35ミリ/11分/ 2001
  • フラジャイル
      シカンダー・ゴルダウ/35ミリ/20分/ 2003
  • 児童
      エディナ・コンツェク/35ミリ/7分/ 2002
  • 裏切りの心臓
      マーク・マルツェ/35ミリ/15分/ 2003
  • トーク
      ミッケル・レンチュ/35ミリ/18分/ 2002
  • 只今逝去
      トーマス・ヴェンドリッヒ/35ミリ/17分/ 2003
  • 大妊娠
      ピヨートル・レヴァンドウスキー/35ミリ/9分/ 2003

  • Dプログラム 行くか残るか

  • ビヨルンまたはお役所という障害
      アンドレアス・ニースナー/35ミリ/15分/ 2001
  • 小銭
      マーク・アンドレアス・ボーヒャート/35ミリ/15分/1998
  • 最高!
      インゴ・ラスパー/35ミリ/10分/2004
  • 脱出!
      クリストフ・ヴェルムケ/16ミリ/9分/2004
  • 穴の中の兎
      ハンナ・ドーゼ/35ミリ/11分/2004
  • 平常通り
      トム・ツェンカー/35ミリ/5分/2003
  • ウインストン・ンガカンベがキールへ来た日
       ヤスパー・アーレンス/35ミリ/10分/2002

  • ※上映は全てビデオ版となります
  • ロゴ

    共催:東京ドイツ文化センター

タイムテーブル

日付 2:00 4:00 5:00
11/18 - -
11/19 -
11/23 -
11/25 - -
11/26 -

クルツ・ウント・グートll

100年前までは、映画は全て短編でした。60年代に入ってもなお、後に有名になったライナー・ヴェルナー・ファスビンダー、ヴェルナー・ヘルツォーク、ヴィム・ヴェンダースなどの映画作家たちは、当時、映画館で本編の前に上映されていた短編作品によって世に知られることとなったのです。この世代の映画作家が、フランスのヌーベルヴァーグに習い、独学で経験を積んだのとは対照的に、70年代からは映画大学が短編映画制作の場となりました。なかでも伝統があるのは、ミュンヘン・テレビ映画大学、ベルリン・ドイツ映画テレビアカデミー、ポツダム=バーベルスベルク・コンラート・ヴォルフ・映画テレビ大学です。さらに90年代以降は、定評のあるケルン・メディア芸術大学とバーデンヴュルテンベルク・映画アカデミーも映画人材を育成しています。他にも多くの美術大学の映像科があります。経済的に不可欠な広告の長時間化に伴い、短編映画はドイツの映画館から消えましたが、ここ数年間、失われた勢力を挽回しつつあります。短編映画祭や映画大学が提携し、テーマ別の作品や、受賞作品特集などの企画が組まれ、再び短編が上映されるようになりました。(デジタル)テレビチャンネル、インターネットの映画ポータルや、移動中の地下鉄・長距離電車・飛行機、また、駅・空港内などでの放映における放映権売却という商業的な活路も見逃せません。短編映画の中心は、映画祭です。ドイツの主要な国際短編映画祭には、オーバーハウゼン・ベルリン・ハンブルクの国際短編映画祭、フィルムフェスト・ドレスデン、レーゲンスブルク短編映画祭、ショートカット・ケルンがあり、毎年10万人が訪れます。ドイツでの動員数最多のベルリナーレなど大規模な映画祭も、短編映画企画を継続的に拡張してきました。国内制作短編映画では最高額の映画賞、ドイツ短編映画賞は、文化大臣から毎年授与されています。国際的にみても、ドイツの短編映画は何年もトップの座を占めています。世界と競合する国際短編映画祭での多数の受賞は、ドイツ短編映画の成功のバロメーターです。なかでも、ここ10年にわたる、米国映画芸術科学アカデミーから授与されるアカデミー賞受賞とノミネートが挙げられます。特に、学生アカデミー賞ではドイツの映画作家が成功を収めています。2002年には、短編映画のエージェントとして、短編映画協会(AG Kurzfilm e.V.)が設立されました。この協会では、短編映画祭、映画大学などが提携し、映画政策におけるロビー活動や映画作家のサポートなどを通して、短編映画の普及を目指しています。クルツ・ウント・グートIIは、以前ゲーテ・インスティトゥートが企画した短編映画プログラム、クルツ・ウント・グート(ショート&グッド。ドイツ語で「要するに」という意味の慣用句です。)の続編です。27編の新作品を通して、ドイツにおける短編映画の最近の動向を知ることができます。

ユーアンドアイ

愛というテーマなしに短編映画プログラムを組むことなど考えられません。「異物」では、同じ女を愛する無二の親友である2人の男のストーリーが観客を釘付けにします。監督のカトヤ・プラチュケはこのドラマチックなラブストーリーを27分間、動画を使わずに語ってみせます。写真で語るストーリーテリングの手法の再発見といえます。他方、スヴェン・タディッケンの作品「このままでいて」の登場人物は、愛と苦痛に激しく動揺し、見る者に息つく暇も与えんばかりに国道を疾走します。同様に、クレメンス・ピヒラーの「アンナオットーアンナ」ではオットーとアンナのそれぞれの致命的な進行方向は、観客に眩暈を引き起こさせ、二人の愛は前途多難です。ネーレ・レアーナ・フォルマーの喜劇「私の両親」では、完璧に調和した関係を模索する両親は、娘の仲裁を経て、ある境地に達し、愛に関する新たな指標を刻みます。ロード・ミュージカル「出発」で、フローリアン・ミシャ・ベーダーは音楽による愛の告白という形式を選びました。

近くと遠く

「近くと遠く」は短編ドキュメンタリーを集めた初めての試みです。ここ数年、若手の映像作家たちは斬新な手法を開拓し、 ドキュメンタリーとフィクションの在来の境界線に疑問を投げかけています。見る者の視点、出身によって- ズザンネ・クヴェスターのとある一森林国の住民についての作品「フィノウ」では直ぐに、アンケ・リンプレヒトの東独国家保安省が残した遺産についての作品「東独国家保安省文書復元についての教材用映画」では徐々に- ドキュメンタリーの真正性への問いが浮上してくるはずです。同時に、他の地域の生活を、一切コメントをすることなしにみつめ、内観と外観の混在を可能にしている映像作家の姿勢が見えてきます。なかでも、ゼバスチャン・ヴィンケルスのエッセー・フィルムのタイトル「うち・そと・モンゴル」には、この観察態度が端的に示されているといえるでしょう。また、ティル・パッソウは「ハウラーハウラー」で、世界でも最大級の駅を舞台に、人間の共存のあり方の多様性を見せます。一方、ヤン・フェアベークは「東京のある水曜日の夜」で、日本の首都の日常のたったひとつのごく小さな、しかし重要な事柄に焦点を絞っています。対照的に、ダニエル・クンレとインモ・リューデマンの「自由選択」とファティマ・アブドラヤンの「覚え書き」は、縁日で屋台を出す男、あるいはミュンヘン在住中国人カメラマンの人物像を介して、ドイツの内観・外観を描いています。また、ジスカ・リッケルスの詩的な作品「空の映画」は多様な知覚と空の様々な次元を照らし出しています。

若者と老人

もうひとつのテーマ「若者と老人」では、異なる世代の共存に焦点を絞り、そこから生じる幸福や困難を描いています。いかにして、痴呆や身体の衰えに苦しむ人間を、尊厳を傷つけずに、哀しくもおかしな状況において描き出すか。トーマス・ヴェンドリヒの「只今逝去」とヨハネス・キーファーの「グレゴアの大発明」は、経験豊かな俳優たちの円熟した演技によって、このテーマに迫っています。ミッケル・レンチュの雄弁な3部作「トーク」とシカンダー・ゴルダウの「フラジャイル」は世代間のコミュニケーションそのものをテーマにしています。後者は最後(になるかもしれない)の別れの困難さを扱っています。ピヨートル・レヴァンドウスキーは「大妊娠」で、胎内においてさえ、モバイル・コミュニケーションが勝利することを証明しています。二つの対照的な作品、エディナ・コンツェクの「児童」とマーク・マルツェの「裏切りの心臓」がこのテーマを締め括ります。パウルが、児童であることの耐えられない重さを、病的なまでに饒舌な教育者たちを介して示す一方で、エドガーの置かれた状況では、老いも若きも生死の瀬戸際に立っています。

行くか残るか

ドイツにおける影の部分との向き合い方がこのテーマ「行くか残るか」の主題です。マーク・アンドレアス・ボーヒャートは「小銭」でビジネスマンとホームレスの衝突を、また、ハンナ・ドーゼの「穴の中の兎」は家庭内での性的虐待について、それぞれ重いテーマを扱っています。これらの作品は、いかにして難しい問題に相応の繊細さをもって対処できるかを示しています。「脱出!」では徹底して醒めた、感情に走らない作風が際立っています。監督クリストフ・ヴェルムケのテーマは、東ドイツの地方でいかに生き延びていくかです。トム・ツェンカーの短くも簡潔な語り口の「平常通り」は、突然表出する暴力を、忙しい日常の何気ない脚注として啓示します。いかに北ドイツの州都をアフリカ風に植民地化し、住民に希望を与えるかについて、ヤスパー・アーレンスは、作品「ウィンストン・ンガカンベがキールへ来た日」で手短に、そして皮肉たっぷりに想像を巡らせています。アンドレアス・ニースナーの「ビヨルンまたはお役所という障害」では、旅行好きのビヨルンさえ閉口する、荒唐無稽なお役所苦行参りの行く末が楽しめます。他方、インゴ・ラスパースの作品「最高!」では主人公が税関という難関を悠々と克服します。 ロビン・マリック(フィルムフェスト・ドレスデン国際アニメーション・短編映画祭ディレクター、欧州映画祭調整機関事務総長)

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