国内外の映像アート作品の上映、レクチャーを定期開催。古典的名作 から、最新の実験映画まで

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イメージフォーラム・フェスティバル2013
開催直前予習企画
無限の映画眼 『カメラを持った男』の探検誌
2013 4/13,19,20,26

    タイムテーブル

    日付 14:30 16:30 18:30 19:00
    4/13 土 リトアニア ロスト - -
    4/19 金 - - - ←→
    4/20 土 セントラル ロス ソゴビ -
    4/26 金 - - - カメラ

      受付

    • 当日700円 会員500円 5回券2,000円
    • ※イメージフォーラム・フェスティバル2013の特別鑑賞券提示で当日一般に限り200円引き
    • ※イメージフォーラム映像研究所36期・37期研究生は無料

  • リトアニアへの旅の追憶

    リトアニアへの旅の追憶
  • ロスト・ロスト・ロスト

    ロスト・ロスト・ロスト
  • ←→

    ←→
  • セントラル・ヴァレー

    セントラル・ヴァレー
  • ロス

    ロス
  • ソゴビ

    ソゴビ
  • カメラを持った男

    カメラを持った男

無限の映画眼 『カメラを持った男』の探検誌

「<世界で最も重要なものは、世界を映画的に感じること> 映画眼は、時間のなか空間のなかを生きて動きまわり、知覚し、人間の眼でみたのではないような、全く別の印象を定着する。<中略>知覚する量が多くなり、知覚の質が良くなればなるだけ、映画カメラはより完全なものとなる。」ジガ・ヴェルトフ

ヴェルトフの『カメラを持った男』(1929)は、今でも世界の単純な把握を拒み、新たな世界を発見する予感に満ちた輝きを放っています。この作品から85年近くを経た現在、ヴェルトフが示した“カメラの眼で把握された世界”というフロンティアは、探検され尽くしたと言えるでしょうか。
20世紀映像文化の中心を担った、劇映画やテレビ番組のニュース映像または教育的ドキュメンタリーが開拓し損ね、日々更新されるデジタル技術による映像がその模倣に陥り、新しい世界発見の可能性が見失われているとしても、“カメラを持った男”はその探検を止めてはいませんでした。
『カメラを持った男』が指し示した可能性。その領域への探検の歴史を辿り、新たな知覚の可能性の芽を探ります。イメージフォーラム・フェスティバル2013年の特集<創造するドキュメンタリー、無限の映画眼>の予習として、映像史的に重要な7作品を上映します。



個人の眼

リトアニアへの旅の追憶 ジョナス・メカス/16ミリ/87分/1972

1949年、故郷からナチスに追われアメリカに亡命したジョナス・メカス。言葉も通じないブルックリンで一台の16ミリ・カメラを手にしたメカスは日々の生活を日記のように撮り始める。27年ぶりに訪れた故郷リトアニアでの母、友人たちとの再会、そして風景。メカスは自在なカメラワークとたおやかな感受性でそれらの全てをみずみずしい映像と言葉で一つの作品にまとめ上げた。この感動的な映像叙事詩はメカス自身の代表作であるばかりでなく、アメリカ・インディペンデント映画の不朽の名作として広く愛され続けている。
なお、この映画に描かれている彼の出身の村セミニシュケイは、いわば彼自身の追憶の中の存在というべきものであり、メカスのカメラは、彼の少年時代の痕跡や思い出に向けられているが、現在、セミニシュケイは、廃村あつかいとなり、地図上にはなく、文字通り追憶の中の存在となってしまったという。

ロスト・ロスト・ロスト ジョナス・メカス/16ミリ/176分/1975

“この6巻にわたる私の映画日記は、1949年から63年にかけて撮影されたものだ。まず1949年11月の私のニューヨーク到着から始まる。第1巻から2巻にかけては若い詩人としての、そしてブルックリンにおける異邦人としての私の日々を描いている。リトアニア移民のコミュニティと、彼らが新しい土地に定着しようと試みる様子、そして祖国を独立させようとする彼らの悲劇的な努力を写し出す。私自身のフラストレーションや不安、そしてブルックリンを去りマンハッタンへ移ることを決めたこと。第3巻と4巻はマンハッタンのオーチャード通りの私の生活だ。ニューヨークの詩人や映画作家との最初の出会い。ロバート・フランクが『イエスの罪』を撮影している。リロイ・ジョーンズ、ギンズバーグ、フランク・オハラがリヴィング・シアターで朗読をする。50年代後半と60年代初頭の政治的プロテストのドキュメント。初めての平和のための全世界スト。タイムズ・スクエアでの徹夜のデモ。平和を求める女性たち。空襲への抗議。第5巻はヴァーモント州で撮影された「ウサギの糞の俳句」、フィルムメーカーズ・コーポラティブにおけるいくつかのシーン、『ハレルヤ・ザ・ヒルズ』の撮影、ニューヨーク市内の風景。第6巻は、フラハティ・セミナーへの旅、ストーニー・ブルックの浜辺への訪問、タイニー・ティムのポートレート、『トワイス・ア・マン』のオープニング、2つの視点で捉えた田舎への小旅行―私が撮ったものと、ケン・ジェイコブズが撮ったフッテージがこのリールには使われている。”(ジョナス・メカス)
※本作は作者の意向で日本語字幕がついていません。日本語対訳を当日配布します。


4次元を見る

←→(バック・アンド・フォース) マイケル・スノウ/16ミリ/52分/1968

“『←→』では光りより運動を通じて超越することを意図した。他の作品よりパラドックスが少なく、ある意味でドラマも少ない。より「具体的」でより客体的だ。『←→』は彫刻的である。それはまた一種の知覚の(そして法と秩序とその超越の概念についての)デモンストレーションないしレッスンである。教室が舞台だが、それはあらたな観客と映像の関係を提示したとも見ることができる。私の映画はみな(私にとっては)心に、ある状態ないし意識を暗示する試みである。私の映画はすべて「リアリスティック」な映像を信じることのタイプと質をコントロールしようとしている。『←→』でいえばはじめに「野外」の自然主義的なショット、緑があり、次に(私には)非常に抽象的と思えるに充分なほど長く「室内」のシーンが続く。
この「抽象性」は窓の外の男が見えたとき(またしても私にとって)スリリングな形で壊される。この種のことがすべてのシーンで人間とともに起こる。彼らがどう現れどう消えるかが美しい(と私は思う)。“(マイケル・スノウ)


黙視する眼

セントラル・ヴァレー ジェームス・ベニング/16ミリ/90分/1999
ロス ジェームス・ベニング/16ミリ/90分/2000
ソゴビ ジェームス・ベニング/16ミリ/90分/2002

イメージフォーラム・フェスティバル2013年で上映されるジェームス・ベニングの『ステンプル・パス』では、優秀な数学者として大学で教鞭をとっていたが、突然全てを捨て去り、山小屋で自給自足の生活を始め、航空関連企業や大学に爆弾を送りつけるようになった男、セオドア・カジンスキー(ユナボマー)がテーマとなっている。科学技術を完全否定し、自然のみに囲まれて生きようとするカジンズキーは、モンタナの山深くでウサギ猟をしていても頭上を旋回するヘリコプターに怒りを感じ、空に向けてライフルを発砲する。夜の静寂を乱すスノーモービルのエンジン音を聞いた彼は、昼間にその音の源となったと思われる車体が駐車してあるのを探し当て、ハンマーで徹底的に破壊する。
1999年から2002年の間に撮られた、カリフォルニアの郊外(『セントラル・ヴァレー』)・都市(『ロス』)・自然(『ソゴビ』)の風景を捉えたベニングの3部作“カリフォルニア・トリロジー”は、全作品が2分30秒の長さのショット35個で構成され、それぞれの上映分数が90分という構造を持っている。個々の作品内ではショット同士が連関しているが、3作品の間をつらぬく大きな構造とテーマがあり、その一つが“労働と資本”である。カリフォルニアのセントラル・ヴァレーは、アメリカの農作物の4分の1を産出する巨大なマスプロダクション農業の舞台であり、その労働を支えているのは『セントラル・ヴァレー』のいくつかのショットに登場する中米からの移民労働者だ。その食料と、セントラル・ヴァレーを源とする水の消費地が、『ロス』で描かれる大都市ロサンゼルスである。『ソゴビ』では、カリフォルニアの大自然の風景と思われたものが、最後のクレジットで登場する全ての土地が、企業やそれに絡む所有地であることが明かされ、“労働と資本”の論理が自然をどれだけ浸食しているかを示す。ベニングの作品の持つ政治性に目を留めれば、この3部作と、カリフォルニア山中に自力で建てたユナボマーの山小屋のレプリカを撮影した最新作の『ステンプル・パス』が、共通する視点で作られた映画だと理解できるだろう。
「(これらの3作品は)よりアクティブな観客を求めている。能動的な眼、能動的な耳、能動的な精神は、ショットの連なり以上に、一つのショットから様々な結論を導きだせる。」というベニングは、“注意して見る”ことによって観客が、映画により直接的な関わりを持てるとしている。それぞれのショットが2分半のこのカリフォルニア・トリロジーの次には、さらにその経験を押し進めるかのように、『13の湖』(2004)、『10の空』(2004)で各ショットの長さが10分となり、同じ構図の4つのショットが30分ずつ持続する『ステンプル・パス』で、その試みは極みに達している。


カメラを持った男

カメラを持った男 ジガ・ヴェルトフ/16ミリ版/69分/1929

“…私は映画眼だ。私は―――機械の眼だ。<略>私の道は―――世界のいきいきとした知覚の創造に向かっている。見給え、私は諸君の知らない世界を新しく解読しているのだ。”(ジガ・ヴェルトフ)
モスクワ、オデッサ、キエフのソヴィエト市民の1日と、その模様が“カメラを持った男”によって撮影され、その後編集されて上映されるまでを独自の入れ子構造のモンタージュで描いた、「字幕もなく」、「シナリオもなく」、「ドラマもない」、「視覚的現象における映画的コミュニケーションの実験」。2012年には、イギリスの映画誌「サイト・アンド・サウンド」で世界の映画批評家による映画史上ベスト8に輝いた。




イメージフォーラム・フェスティバル2013「特集 創造するドキュメンタリー、無限の映画眼」

4/27〜5/6 パークタワー・ホール、シアター・イメージフォーラムで開催! 以降全国巡回
詳しくはこちら→www.imageforumfestival.com





































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