鏡の中のマヤ・デレン

鏡の中のマヤ・デレン

スタッフ・キャスト

『鏡の中のマヤ・デレン』スタッフ・出演者解説

監督:マルティナ・クドラーチェク

1965年ウィーン生まれ。ウィーン大学を卒業後、プラハの映画・テレビアカデミー(FAMU)でドキュメンタリー演出を学ぶ。
▼主な映画作品:
  • POSITIVA 40分/1994年
  • MAELSTROM DER MELANCHOLIE 30分/1995年
  • L'AMOUR FOU / LUDVIK SVAB 50分/1995年
  • AIMLESS WALK / ALEXANDER HAMMID 48分/1996年
  • DIE LETZTEN HELDEN 40分/1997年
  • 鏡の中のマヤ・デレン 104分/2001年
  • マリー・メンケンについてのノート 97分/2006年

音楽:ジョン・ゾーン

1956年生まれ。1980年代以降のアメリカ前衛音楽を代表するミュージシャン。フリー・ジャズ、アヴァンギャルド音楽など特定のジャンルに収まらない多様な活動を精力的に続けている。自主レーベルTZADIKを立ち上げるなど、世界のミュージシャンとの交流や新進アーティストの紹介も行っている。

主な出演者:

● ミリアム・アーシャム

1920年ニューヨーク生まれ。映画編集者として多くのドキュメンタリー作品を手がける。アレクサンダー・ハミッドを含む多くのアメリカまたはヨーロッパの監督と仕事をする。1940年代から50年代を通してマヤ・デレンと個人的に親しく、撮影の手伝いもしている。

● スタン・ブラッケージ

1933年米国生まれ。ブラッケージはアメリカのインディペンデント映画において最も影響が大きい存在である。1952年から400本を越える作品を制作し、『ドッグ・スター・マン』(1964年)、『自分の目で見る行為』(1971年)など数々の代表作がある。本作でもブラッケージ自身が述べているが、2000年にマヤ・デレンに捧げる『Water for Maya』を制作している。1981年アメリカン・フィルム・インスティトゥート(AFI)が設立したマヤ・デレン インディペンデント映画賞を1986年に受賞。映像に関する書籍もいくつか出版している。2003年没。

● チャオリー・チ

1929年生まれ。アジア舞踊を学ぶ。デレンの『暴力についての瞑想』に出演。以後人気テレビドラマ『ファルコン・クレスト』(1981年)、『ドラゴン ブルース・リー物語』(1993年)、『ゴーストハンターズ』(1986年)、『タオの伝説/異次元のファンタジー』(1997年)などの映画に出演している。

● リタ・クリスチアニ

1923年トリニダード生まれ。キャサリン・ダンハムのカンパニーのダンサーでもあり、デレンとの友人であった。『変形された時間の儀式』に出演。ダンサーとして『モロッコへの道』(1942年)、『運命の饗宴』(1942年)といったハリウッド作品にも登場している。50年代にはシカゴで看護士とになった。

● ジャン=レオン・デスティネ

1930年ハイチ生まれ。ハイチの芸術の海外への紹介に生涯を捧げた。1946年にキャサリン・ダンハム・ダンスカンパニーに入団し、ダンスを学ぶ。その頃にマヤ・デレンと出会っている。1949年には自らのダンスカンパニーを設立し、以後は振付家や後進の育成者として活動を続けている。

● キャサリン・ダンハム

1909年米国シカゴ生まれ。ダンスと社会人類学をシカゴ大学で学び、1936年に西インド諸島へ渡り以後ダンスと人類学を複合的に研究することになる。やがて彼女はキャサリン・ダンハム・ダンスカンパニーを設立し、北中米やヨーロッパをツアーする。1963年にはメトロポリタン劇場で黒人初の振付家に就任する。その他にもハイチ難民の支援など人道的支援活動でも評価され数多くの賞を受賞している。

● グレアム・ファーガソン

カナダ生まれの映画プロデューサー・監督。巨大スクリーンでの上映設備IMAXの共同開発者。主な監督・製作作品に『ディスティニー・イン・スペース』(監督/2001年)、『ブループラネット』(製作/1990年)

● アレクサンダー・ハミッド

1907年リンツ、オーストリア生まれ。プラハで青年期まで過ごし、1930年に初めての実験映画AIMLESS WALKを制作する。ナチのチェコ侵攻を逃れアメリカに亡命。エレアノーラ・デレンコフスカヤと出会い1942年に結婚。彼女にマヤと名付けた。1943 年にはデレンと『午後の網目』を共同演出する。1964年には共同監督したTO BE ALIVE!でアカデミー賞短編ドキュメンタリー賞を受賞する。その後IMAXの初期作品をTo Fly!(1968年)などを手がける。

● ジュディス・マリーナ

1926年ドイツ生まれ。ナチの迫害を逃れ両親とともにアメリカへ渡る。1946年に劇団リビング・シアターを設立。40年代のアヴァンギャルド運動と密接に関わっていた。50年代に講演の内容の政治色が非常に強くなり、劇団の共同設立者であり夫のジュリアン・ベックと共に非暴力抗議運動によって当局に収監される。俳優としてはシドニー・ルメット監督『狼たちの午後』(1975年)、バリー・ソネンフェルド監督『アダムス・ファミリー』(1991年)、ポール・マザースキー監督『敵、ある愛の物語』(1989年)、『レナードの朝』(1990年)

● ジョナス・メカス

1922年リトアニア生まれ。第二次世界大戦時には強制収容所に捕われるが脱走、1949年米国に渡りニューヨークに移り住む。1951年『フィルム・カルチャー』誌創刊。1958年から『ヴィレッジ・ヴォイス』誌に映画のコラムを書き始める。アメリカのインディペンデント映画において最も重要な人物の一人であり、『リトアニアへの旅の追憶』(1972年)、『ウォールデン』(1988年)などいくつもの名作を16ミリのボレックス・カメラで制作している。1970年にはインディペンデント映画専門の上映館でありアーカイブであるアンソロジー・フィルム・アーカイブスを設立。映画館のホール名はマヤ・デレン・シアターと名付けられている。

● アンドレ・ピエール

1942年ハイチ、ポルトープランス生まれ。ハイチの美術の巨匠であり、ヴードゥーの司祭である。ハイチの画家ヘクトール・イポリット(生:1894年〜没:1948年)の精神と芸術を継ぐものとされている。作品の多くはヴードゥー寺院の装飾として使われたもので多くが既に破壊されてしまっており、キャンヴァスに描いた作品のみがハイチ芸術の貴重な歴史を伝えている。

● アモス・ヴォーゲル

1921年ウィーン、オーストリア生まれ。ナチの迫害を逃れアメリカに渡り。1947年に上映団体シネマ16フィルム・ソサエティー、1963年にニューヨーク映画祭をスタートさせる。1947年の出会いからその死までデレンとは親密な交流があった。

● マルシア・ヴォーゲル

1921年ニューヨーク生まれ。1942年アモス・ヴォーゲルと出会い結婚。社会学者でシネマ16の共同設立者。

● テイジ・イトー

1935年東京生まれ。6歳で米国に渡る。幼少の頃からアジア、アフリカ、特にカリブ海のパーカッションに興味を持つ。1955年にハイチへマヤ・デレンと渡り、ハイチのドラムを学ぶ。1960年にデレンと結婚。彼女の『午後の網目』と『夜の深み』の音楽を付けている。日本の古楽器などを作曲に反映させるなど実験音楽のパイオニアとして評価されている。1982年ハイチにて死去。
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