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《 フィルムヒストリー講座 》

イントロダクション

中島崇

◎ 映画の4つのジャンル

 この講座は、エクスペリメンタル(実験映画)と呼ばれている映画の一ジャンルに限ってプログラムされた映画を見ることと並行して、それぞれの映画の時代的な背景の説明や作品解説を行っていきます。最近は、自動車の衝突実験や地震の揺れの大きさを体感させる場面を撮った映像を実験映像と呼ぶこともありますが、それとは全く別の、芸術に関わる事柄であることを了解してください。
 ドイツにオーバーハウゼン国際短編映画祭という歴史の長い映画祭があります。ここに参加を希望する作者は出品用紙に記入することになりますが、その一項目に、「あなたが出品する作品はどのジャンルか」と問いかける欄があり、4つの選択肢が決められています。フィクション、ドキュメンタリー、アニメーション、エクスペリメンタル(実験)の4項目です。そのどれかにチェックを入れなくてはなりません。これが国際的な規範となる4つのジャンルだということになります。はじめの3つのジャンルはだいたい分かりますね。厄介なのは4つめのエクスペリメンタルです。他の3つに当てはまらないものという言い方もできますが、独自の確固たる歴史を持った流れであるわけです。
 またエクスペリメンタルは、かつて1920年代から60年代まで主にアヴァンギャルドと呼ばれてきましたが、芸術全体を含めてその概念を戦前から継承しているのはアジアでは日本が唯一の国であることも知っておくべきでしょう。

◎ 映画前史

テアトルオプティック

 歴史的にみてみましょう。
まず映画が発明される以前の映画前史があります。専門書には紀元前にルーツを探る記述もありますが、「動く絵」についてはアナタシウス・キルヒャーが世界で初めて光学に関する書物を著した17世紀ごろから19世紀に至るまでに、主に玩具としての道具や機械を通して形づくられてきました。
 一枚の円盤の表と裏に絵が描いてある単純な構造のトーマトロープに始まり、回転するスリット(円盤などに切れ目が入れてある)から覗いて見るフェナキストスコープやゾーエトロープを経て、鏡を使った精巧な装置プラクシノスコープへと発展していきます。日本でも複数の風呂と呼ばれた幻灯機を手で持って揺らしたスライドショーのような試みがすでに江戸時代の末期に行われていました。
 プラクシノスコープを発明したエミール・レイノーは、せいぜい8~12コマを繰り返し見る程度だったメカニズムを改良したテアトルオプティック(1888年)と呼ばれる投影装置で、数分の動画をスクリーンに投影することに成功しました。またジャン・マレは12コマの撮影機、マレの写真銃(1882年)を開発します。こうなるともう映画発明の一歩手前ということになりますね。
 ということで、3世紀にわたる「動く画」を夢見る歴史のロマンに少し触れてきましたが、同時に多分みなさんにとっては聞くことが稀なラテン語の発音にも接しました。フェナキストスコープやプラクシノスコープなどの舌を噛むような光学的な発明品の名称は、ラテン語で書かれたキルヒャーの書物からの伝統を受け継いでいます。次の項目としていよいよ映画誕生の時期に移りますが、ここでもシネマトグラフ(語源はギリシャ語)という映画の草創期の途上で15年間しか使われなかった名称が登場します。後に映画が大衆的になってからの呼び名シネマやムービーという語感に比べて、この名称はまだ学術的な響きをもっています。しかしシネマトグラフは疑いなく映画の始まりでした。

◎ 世界初の映画体験

『列車の到着』

 真に新しい発明品を身近に感じたとき、人々はどんなリアクションを持つのでしょうか? 今も昔も同じです。私自身の経験から話しますと、20数年前の1990年ごろに初めてインターネットに接したとき、どうしたらこんなことができるのかと驚愕した経験があります。団体や個人が作成したページにアクセスができて、さらに自分との応答もできる。そこで、得意げにインターネットの画面を見せてくれた友人にこう質問をしました。「何を伝わってやって来るの?」と。彼は答えられませんでした。答えは簡単ですね、電話線(通信ケーブル)です。
 オーギュスト、ルイ・リュミエール兄弟が1895年に作り上げたシネマトグラフを見た観客の反応として様々なエピソードが伝えられています。代表作のひとつ『列車の到着』(1895)の上映時には、向こうからやって来る列車にびっくりして観客全員が席を立ったというエピソードが最も有名です。いかにもありそうなことです。より興味深い伝説話としては、この映画を見た人々の噂が広まって、イギリスでは日がな一日中列車の通過を待って何事が起こるのかとレールの脇に群がったという事実です。噂の主はおそらく自分が見た映画そのものの存在をうまく周囲に伝えることができなかったのでしょう。「列車にぶつかりそうになったが、誰も怪我をしなかった」とでも証言したのでしょうか。ローソクよりはるかに明るい電灯が点いたとかインターネットが見れるパソコンの驚愕体験と異なるのは、虚構体験をいかに他人に伝達することが難しかったかを物語っています。夢に続く人類で2つ目の現実味を帯びた虚構世界、そして唯一他人と共有可能な虚構世界を作り上げた瞬間であったわけです。
 その電灯を発明したエジソンはリュミエールに先駆けること2年前に映画を開発しましたが、観客一人一人が覗き見るタイプの映画(キネマトグラフ)であったが故に観客が臨場感を伴った虚構世界を体験するまでには至らず、映画前史の延長上という印象が拭えなかったのです。リュミエールは映画製作会社を興して、映画の発明から数年の間に約2000本以上の映画を作り、また多くは52秒間の固定カメラから撮影されていたにもかかわらず内容は多岐にわたり、量と質ともにエジソンを大きく上回っていました。

◎ リュミエールの豊富な映画表現とメリエスの映画魔術

『月世界旅行』

 ここで上映するのはそのうちのわずか8本ですが、豊富な題材と表現法を見てみましょう。
 映画草創期の数年間の作品を見ただけで、冒頭で述べた4つのジャンルに振り分けることが可能です。エクスペリメンタルの関連でいうと、モノクロフィルムのひとコマ一コマに人工着色を施した『蛇踊り』や、逆転撮影による『壁の取り壊し再び』が挙げられます。逆転撮影は手回しクランクを逆に回せば簡単にでき、単純な作業から思いもかけない映像を得ることができるという概念は、後のエクスペリメンタル映画の思想に通じるものがあります。
 映画を作る際の試行錯誤と衝動の狭間でこうした4つの要素が生まれてきたと言う方が正確かもしれません。やがて、はっきりとしたジャンルが確立したのは1910年代の後半でした。映画産業や芸術運動の発展、映画機器の発達、批評の確立などが関係しています。すなわち、ハリウッドに代表される欧米での大規模スタジオの誕生、フィクションとは対照的な立場としてのドキュメンタリー理論の確立などです。後ほど詳しく説明することになりますが、エクスペリメンタルの分野では画家や写真家などが中心となって動く絵に挑戦したという経緯があります。
 次に、後のフィクション映画の台頭の契機とされるジョルジュ・メリエスの代表作『月世界旅行』を見てみましょう。
 この映画の製作は1902年ですから、映画の発明からわずか7年でここまで複雑に要素が凝縮された映画が登場することになります。トリック映画で好評を博した魔術師出身のメリエスはその興行収入でパリの郊外にスタジオを建設し、この映画はそこで撮影されました。スタジオの外観はガラス張りの熱帯植物園を思わせるとされています。ライトを十分に焚けないので、撮影は日中煌々と照る太陽光の元で行われました。
 私たちは今デジタルの時代にいます。パソコンでヴィジュアルが主体の動画や静止画を作った経験を持つ人ならば、この制作法は案外身近に感じるかもしれません。ガラス張りのスタジオが、パソコンのディスクトップ画面だとしましょう。そこにいくつものレイヤーの層を重ねた書き割りの背景を作り、大砲やロケットや月を配置します。ロケットに乗る探検隊や、槍を持って彼らを追いかける月星人や、打ち上げ儀式に参加する人々は人間が扮しているものの動作が単純で、ちょっと動くキャラ風のもので再現できるように思えます。アニメーションの概念を多分に含んだこの120年余り前に作られた壮大なSF世界は、今日こんなふうにデジタル処理で容易に類型を作り出すことができるのです。
 『月世界旅行』は欧米で桁違いの観客動員数を記録し映画産業の基礎を築くとともにエンターテイメント映画の原型とも称されますが、技術的な側面だけを捉えるなら、これも「実験」の一種だということができるでしょう。しかし今日もしその「模倣的創造」でストップしまうとしたら、低レベルの文化的な質に留まってしまうことは明らかです。映像のハードウェアは、最近のある時期に非常に短期間でリニアからノンリニアに入れ替わったのですが、映像の内容と理論の発展は120年間を空洞化して都合よく突然ジャンプしたわけではありません。

 いかなる分野の映画も壮大な実験に実験を重ねて発展してきたわけですが、その一つの分野エクスペリメンタル映画の特異性を一つあげると美術の歴史に負うところが大きかった点です。思想的な事柄はいったん脇においても、単純に言えば、画家が絵筆を動かすように映画を作るという概念が誕生したのです。エクスペリメンタル映画の発祥は1910年代の後半と定義されますが、当時からこの名称があったわけではなく、だいぶ後になってからこの時点を嚆矢として発展したと歴史的に位置づけられてきています。
 ある美術史家は「芸術を見るというのは、人と付き合うことと同じ」と語っています。作品は
人間のようなものだと言うのです。基本的に採算を主要な目的としないエクスペリメンタル映画はこの要素が多分に含まれています。完璧な人間が存在しないのと同様に、それは時に挑発的で、時に自己顕示欲の塊だったり、時に無意味を強調したり、時にあえて宙ぶらりんだったりもします。文字通り「何でもあり」のベースを100年継続してきたいま気づくことは、主要などの映像作品にも見る側とって心の底に潜在していた事柄が急に浮上してくる瞬間があるということです。
 そうした驚きがエネルギーに置換できる体験を、ぜひこの講座で習得してください。