ひらたいのがみえた
ひらたたかひろはイメージフォーラム付属映像研究所の第27期卒業生、野上寿綿実(のがみ・すわみ)は同29期卒業生、共にイメージフォーラム・フェスティバルを含む映画祭での上映歴があるアニメーション作家ということで、共通点も多い。
ひらたは電車やエレベーターのような規則正しい動きをする乗り物を題材に、同じ視点の風景を重ねて動きを生成、また、同じ動きの映像を重ねて風景を生成するという作風。平凡な日常の光景が、緻密な工芸品のごとく変化する様は痛快だ。しかもそのからくりが理解できるように、何度も何度も繰り返される親切設計がおかしい。
「夜中の3時に目が覚めて気づくこと このままずっと続くような気がすること」(午前3時のファズギター/ゆらゆら帝国)
『夜中の3時』に『考える練習』をする『空想家』。野上はシンプルなドローイングを極力動かさず、日常生活のなかでも平凡で退屈な”凪”の瞬間にスポットをあてている。やはり繰り返しを多用するが、野上の場合は、重箱の隅的な出来事を抽象化して意味を希薄にするために行う。
アニメーション作家は、合成や加工など出力の作業で圧倒する作風が大多数だが、ひらた、野上はさらに日常を切り取る立ち位置、いわば入力の段階で私たちとは違うものを飽きずに見ている様である。(澤隆志)
トライ&エラーの果てに
『視点』:自分にとって初監督作品。カメラ内編集。何をどうやって作れば良いのか全く分からず、やりたい放題に撮影し、まとまりの無い構成になっている。
『低高』:カレッタ汐留の上昇・加工するエレベーターの中から景色を撮影し、コマを色々入替えてみた作品。「slide002」のアイデアのきっかけになっている。撮影中お客さんがエレベーターに乗ってき、緊張し過ぎで胃がかなり痛くなった。
『山手線』:「The Trains」元になった作品。発端は、8mmで電車を真横から撮影して、フィルムのコマを抜いていったらどうなるのか?という疑問から制作。
『The Trains』:前作の「山手線」をビデオで追求した作品。12月の寒い中一人で撮影し、トイレも行けず昼から夜まで撮影。撮影時は、短くなる車両までしか構想に無く、残りの展開はPC上でトライ&エラーを重ねて今の構成に落ち着く。没ネタ多数在り。一度データが壊れ、再度ゼロから制作。映像編集は、全てiBook上。映像・音全て撮影した素材のみで構成。
『slide002』:映像素材は、『The Trains』がバンクーバー国際映画祭で上映された時、バンクーバーのハーバー・センター・タワーで撮影。撮影時は、前半1/3の部分しか構想に無く、残りは、PC上でトライ&エラー。後半は高画質にするため、映像サイズ1440x960pixelで1440レイヤーで再編集。レンダリングに数百時間。
『Day Night Tower』:『The Trains』で受賞したイメージフォーラム・フェスティバル2005審査員特別賞の制作助成金で制作。自分の好きな東京タワーをデジカメ(RICOH Caplio GX8))で撮影し、PC上で編集。振り返ってみると、一度作った作品が後々の作品のヒントやアイデアに繋がっているのに驚く。(ひらたたかひろ)
「ぐにゃ」っとさせたい
今回はじめてこれまで自分が2002年の11月位から2006年の3月までの間に制作した映像作品がまとめて上映されることになったわけなのですが、2002年の11月から去年の春までの映像は京都で制作したもので、それ以降のものは水戸と東京を週に一回行き来しながら作ったものです。
京都で制作したものは、当時通っていた大学に教授としていた伊藤高志や相原信洋の作品にぶっ飛んで、個人のイマジネーションの力で「ぐにゃっ」っと世界が歪むような映像を作りたい、と思い制作をはじめたものです。中でも伊藤高志の『SPACY』や相原伸洋の『WIND』などの作品でも使われているくり返しによる映像表現にぐらっときていて、くり返しの映像表現をつかって「ぐにゃ」っと世界が歪むようなタイプの映像を作りたい、と思い出来上がったのが『球と風景』から『空想家』までの作品で、どの映像もどこかぬるいというか回転数が遅いというか鴨川的な感じがするのは京都という土地柄のせいか、それともほとんどの時間を制作をしないでお茶ばかり飲んで漠然と映像のことを考えていたからかしらん。
それで2005年に京都から水戸に引っ越して週に一回イメージフォーラム付属映像研究所に通いながら卒業制作として作ったのが『夜中の三時』で、この作品がきっかけで今回の上映の機会をいただきました。(野上寿綿実)