質問への廻送(1981年11月) ヴェラ・ヒティロヴァー
-
- 私は現在についての見方をわきまえているか、よくわかりません。だがそれが現実の世界のなかで生じていることへの私の対応・知覚についてならば、最もつよいのは戦争に対する恐怖です。人間の愚かさ、不寛容さへの恐怖です。私は映画の中でそれと戦いつづけてきました。創造は誇張がなければあり得ません。誇張のあらわれ方やスタイルは、さまざまです。題材のとりあげ方、全体の構成、視覚的なくみ立て、視覚と聴覚のかけ合わせ、演技のスタイルのすべてに、誇張はあらわれ、表現することができます。誇張は多様ですが、大切なのはその限度を見つけることです。誇張の限度の発見は、目的を生かすためにどれだけ実験をおこなえるかにあります。危険をおかさず探求もしないひとは、失敗しないかわりに発見への希望も見出せません。映画を作るうえでのアイデアが、どれだけ誇張されて普遍的な意義をもつかということです。年代の変化はよく意識しています。題材の選び方、作品を依頼する人々の狙い、時代の流れのすべてがスタイルの変化にかかわるからです。しかも最も重要なことは、スタイルづくりはくりかえしてはならぬということです。すでに手にした方法をくりかえし使わない方がいいのです。すでに手にした認識は、日を追うにつれて退屈になるからです。女の監督としては、つねに男の野心や嫉妬のために追われている気持ちになることがあります。男はよくひとの足をひっぱるし、社会体制を観念的につくりあげ、男社会は何でもできる傲慢な顔をします。私はそれと戦ってきました。それはちがいます。私は女としてこういう考え方をしています。その見方は男とはちがいますというふうに、ひとつひとつ戦わねばなりません。これはひどく疲れることです。私が最もいらだつのは、保守主義です。おしつけがましい態度、愚かさ、怠けもの根性です。この三つは男たちがつくりあげたもののうちで、つくづく私が考えさせられるものです。そのどうしようもない不寛容さ、無邪気さ加減、あどけなさぶりは、私が男社会をつよく批判する要素です。私はカネを稼いで、おいしいものを食べ、うまく生きていくようにするつもりはありません。実際、稼ぐこともできません。仕事に生き甲斐を求めるのは、そのせいかもわかりません。世界の他の女性監督とはつながりもなく、その仕事も知りません。純粋に自分だけの要素というのは存在しないのではないでしょうか。個性的で創造的な追求は、普遍的な要素の使い方しだいです。私にとって大切なのは、映画の諸要素の構成です。そこに私の主要な本質があります。部分的な構造の中の対立や対照で第三の意味を語ることです。この対立や対照の方法をできるだけ積極的に利用していきたいのです。そうすることで、二つの意味がぶつかりあい第三の意味が生じるからです。これが映像表現の独自性で、そのすばらしい発見の中にこそ映画自身の秘密がかくされていると、私は思います。
-
監督:ヴェラ・ヒティロヴァー Věra Chytilová
- 1929年、チェコのオストラヴァ生まれ。1962年映画大学FAMUの卒業制作『天井』で早くも注目され、イジー・メンツェルやヤロミル・イレシュ、ミロシュ・フォルマンなどと共に、60年代のチェコ・ヌーヴェルヴァーグの代表的な監督となる。しかしプラハの春以降、『ひなぎく』と『楽園の味』(1969年)が政府に睨まれ、1976年まで活動を停止させられる。『リンゴゲーム』で活動を再開。1989年のベルリンの壁崩壊、チェコのビロード革命以降は、建国の父マサリィクを描いた『解放者マサリィク』や、モーツァルトを描いた『私をみとめたプラハ市民』などを発表。2014年3月12日永眠。チェコ映画のファーストレディーと称される。