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2005/9/18,25
ブリコルール ロバート・リー回顧展
ロバート・リーの回顧作品上映は、2005年のイメージーズ・フェスティバルに端を発する。本企画のために、彼自身が過去15年を遡って自作を再編集、再制作した。その結果、90分の長編映画『ミニマ・モラリア』が完成し、ロバート・リー氏の日本での初個展を、新作長編の公開という形で紹介する。
既存の映像や語句を用い、また自らの過去の作品すら自在に新作に有り合わせる彼の作風はブリコルール(器用な仕事人)と呼ぶにふさわしい。

ロバート・リーについて
芸術作品が作られる時、作者は創作を終えるタイミングを、どうやって掴むのだろう?決断の時、作品が漠然とした未完の状態を抜けて確とした完成品に至る時、作品が自ら公衆に語りはじめる時とは、文字通りまたは象徴的には、作品に署名がなされる時である。作家の署名は、ひとつの系統を構築しながら、作品と作家を分離させる。この系統が基本となって、創作者の支配の要請や、作品の心情的な所有権が議論される。(中略)
作者であるロバート・リー自身が言うには、作品というものは、基本原則的には未完であることが可能だということのようだ。だから彼は、署名せず、キェルケゴール的な作者を持ったフィクションの付属物なしに作品が一人歩きすることを許さない。聞き手に回りたがるアーティストというものは、こちらには対して与えることにあまり積極的とは言えないことが多い。才能の無い奴らは、自分達の世迷いごとが世界に垂れ流されることを心配したりはしない。もっとよくリーのビデオ作品を覚えていられたらと思う。発表当時も、その後もよく観てはいるのだが。その中の一本に、私は出演してしまったことさえある(それは、公衆便所でのフェラチオの場面なのだが)。そして、いつも私が感じるのは、リーがこの街の誰よりも高いレベルで仕事をしているということだ。
ロバート・リーは、かつて、私の世代のトロントの芸術界の住民にとって、中心的かつ周辺的存在だった。それは、未だ死せぬ神、それも不在の、両義的にのみ存在する神とでも言おうか。しかし、神々ですら(あるいは、神々ならなおさら)押さえ込んでおかねばならないものではある。
アーティストが自作に及ぼせる心情的な権利は、限定されるべきだ。かれらは間違ったことをし過ぎているし、彼らの行動は破壊的ですらある。大きな焚き火をするのに私はやぶさかではないが、作者が残しておくかどうか戸惑いがあるからといっても、多少なりとも面白いものは残しておくにしくはないと考える次第だ。
(スティーヴ・レインケ/ イメージーズ・フェスティバル2005カタログ「ロバート・リー・スポットライトに際しての四章」より)

ロバート・リー Robert Lee●1964年バンクーバー生まれ。現在はトロント在住。ブリティッシュ・コロンビア大学とオンタリオ州立美術学校に学ぶ。建築と気象学に関心を寄せる。美術・芸術関係の図書、展覧会カタログへの寄稿多数。パーフォーマンス、インストレーション、ビデオ作品を、トロント、モントリオール、オタワ、ニューヨーク、サンフランシスコ、バーゼル、ユトレヒトでの展覧会に出展。
イメージーズ・フェスティバル●カナダ最大にして最長寿の、メディアアートのためのフォーラム。毎年4月にトロントで開催され、毎回200本以上の、カナダおよび国際的な作家による、映画、ビデオ作品、インスタレーション、メディアアート作品を紹介する。www.imagesfestival.com

ミニマ・モラリア
ミニマ・モラリア
ミニマ・モラリア
受付
一般900円/会員600円
※9/18(日)2:00の会上映終了後にティーチ・インを行います
ティーチ・イン参加予定:ロバート・リー(出品作家)、ジェレミー・リグズビー(イメージーズ・フェスティバル・ディレクター)

上映作品
ミニマ・モラリア ロバート・リー/90分/ビデオ/2005
新作の素材となった<現存しない>ビデオグラフィー
Incidence of Storage Space 倉庫での事件/1990
Myopia 近視 /1993
Grand Guignol グラン・ギニョル/1995
Minima Moralia ミニマ・モラリア<ちいさな道徳律>
/1998
AK47 /2000
Capitale de la Douleur 痛みの元手/2001

2005年イメージーズ・フェスティバル参加企画
企画立案:ミランダ・コヴァコーヴァ
(インディペンデント・プログラマー)
協力:チャールズ・ストリート・ビデオ社
助成:カナダ・カウンシル、オンタリオ・アーツ・カウンシル内アーツ・メディア芸術普及基金、カナダ外務省、カナダ大使館、在ソウルカナダ大使館