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No.1016 伊藤早耶アニメーション作品集
春のフレッシュまんがまつり
2019 4/13 Sat.
  • チラシ画像


    • タイムテーブル

    日付 4/13
    14:00
    16:30

      会場

    • イメージフォーラム3F「寺山修司」
      東京都渋谷区渋谷2-10-2
      TEL. 03-5766-0116

      当日受付

    • 上映 一般700円/会員500円

    • ※各回入替制
    • ※14:00と16:30の上映内容は同じです
    • ※各回上映後、作家ティーチ・インあり

  • 赤色エレジー

    赤色エレジー

  • 宗教

    宗教

  • 詩を見る本

    詩を見る本

  • 水の循環

    水の循環

  • へいたいがっこう

    へいたいがっこう

  • へいたいがっこう

    へいたいがっこう

  • 神話少年ミカド

    神話少年ミカド

  • 神話少年ミカド

    神話少年ミカド



  • 伊藤早耶アニメーション作品集 春のフレッシュまんがまつり 予告


  • 飛沫 しぶき舞う少女趣味:伊藤早耶の「マンガ映画」

      伊藤早耶作品をアートアニメーションと呼ぶのは、どこか違和感がある。強いて言えば「マンガ映画」という言葉が浮かぶ。が、宮撫xが好んで使う「漫画映画」ともちょっと違う。デュシャンから三島由紀夫、シン・ゴジラまで、パスティシュを駆使するその手法は、宮浮フ陰画であることは間違いないのだが。
      マイノリティーや第三世界の作家たちの台頭により、近年はアニメーションでも主題の当事者性を問われる。温室育ちの日本の作家たちの多くが、肥大化する自意識の冷笑や、メタモルフォーゼなどの表現技術に耽溺することでどうにか誠実さを示す中、伊藤早耶は独特な作風で存在感を示している。
      デビュー作『赤色エレジー』(2009)では、主人公の少女は授業中にノートに落書きをするのだが、伊藤作品の印象とはまさに中・高校生の自由で散文的な観察眼に近い。『宗教』(2010)や『水の循環』(2011)で展開される奇想の世界も、物語を伝えるというよりは、思い(込み)を吐き出そうと、息を切るように性急だ。制度的な漫画術を知る前の子どもたちの想像力が、ナイーヴな「物語のようなもの」として、まるで動きや音声を得たようだ。
      一方で、キッチュな視点による社会批評も伊藤作品の特徴だ。『赤色エレジー』の少女が憧れる赤い靴とは、近代以降の少女文化の象徴だが、そこに「美少年と割腹」という、後の作品でも繰り返されるモチーフも闖入してくる。ミスマッチ感のある設定や展開は全作品に共通しているが、未来の天皇制を題材に日本の近代を批評した野心作『神話少年ミカド』(2018)では、作者はグラムロックがコンセプトであるとも語っており大いに合点がいった。
      グラムロックが残した最高の成果物とは、萩尾望都、竹宮惠子、青池保子ら「花の24年組」を中心とする団塊の世代の女性作家たちに描かれた、1970年代の少女マンガ群だ。手塚治虫的な教養をベースにグラムロックの奔放な美意識が融合されることにより、少女たちの心情は両性具有的な美青年・美少年に託され、また恋愛への観念的な憧れ(あるいは恐怖)は少年同士の性愛に例えられた。日本という欧米の文化的植民地ならではの、アンビバレントな表現の結晶化である。その遺産は今や「ボーイズラブ」として隅々まで消費され、伊藤の描く「耽美」的な三白眼の美青年たちもその系譜にあるけれども、その血生臭さ、殺伐には、かつての少女マンガに籠っていた(現在は忘れられている)、価値転覆を激しく鼓舞する情熱—池田理代子の『ベルサイユのばら』の革命や恐怖政治、山本鈴美香の『エースをねらえ!』のウィミンズ・リヴなど—が、直感的に、しかし濃厚に漂っている。体制転覆への物騒な憧憬と、挫折の末の割腹にどうしようもなく惹かれる少女趣味。24年組世代の少女マンガを継承する表現という意味で、伊藤作品を「マンガ映画」と呼びたい所以である。
      鑑賞者の居心地が悪いとすれば、ジャック・スミスの『燃え上がる生物』(1963)や、ヤン・シュヴァンクマイエルの『スターリン主義の死』(1990)とも共通の、「むき出し」感、粗忽さも内包した直截さからだろう。とすれば伊藤早耶の「マンガ映画」とは、単なる分類に成り下がりつつあるそれではなく、本来の文脈での「アート」アニメーションや実験映画だということだろう。
    (伊藤隆介/映像作家、美術作家)
     


    上映プログラム 6作品82分

    赤色エレジー  7分/2009
    宗教  4分/2010
    詩を見る本  1分/2011/調布映画祭2012第15回ショートフィルム・コンペティション入選
    水の循環  6分/2011/ヤング・パースペクティヴ2012上映
    へいたいがっこう  14分/2012/イメージフォーラム・フェスティバル2012「ジャパン・トゥモロウ」寺山修司賞受賞、バンクーバー国際映画祭2012招待、オーストリアtricky women 2017招待
    神話少年ミカド  50分/2018/新千歳空港国際アニメーションフェスティバル2018「北海道現代アニメーション総進撃!」上映


    伊藤早耶 ITO Saya

    1989年(平成元年)北海道生まれ。北海道教育大学岩見沢校美術コース卒業。手描きアニメーション作品『へいたいがっこう』(2012)がイメージフォーラム・フェスティバル2012で寺山修司賞を受賞するほか、国内外で上映される。初の中編作品『神話少年ミカド』(2018)では、全ての作画、コンポジット、編集を一人で行った。



    各作品詳細


    赤色エレジー
    周囲の人々を憎んでいる孤独な少女は、赤いハイヒールに憧れているが、それを買うことはできない。ある日、少女は学校の屋上から演説をする。

    【作者解説】 「不良になれない人間」が企てる「反抗」とは何か? 無意味な怒りと苛立ち、潔癖な精神と肥大する自意識に苛まれる、思春期の少女の苦しみを描いた処女作。


    宗教
    指導者の言葉を妄信した人々の熱狂が、異端者に襲いかかる。

    【作者解説】 物語を表現するのなら、なぜマンガではだめなのか。アニメーションである必然性を考え「動き」を描こうと試みた作品。ウニョウニョとした生き物など、後の作品に繋がるイメージがある。


    詩を見る本
    赤い線と青い線のドローイングが「寺山修司少女詩集」の中を循環する。

    【作者解説】 動脈をイメージした赤い線と、静脈をイメージした青い線が、体内の血液のように本の中を巡る。


    水の循環
    デュシャンの遺作から落ちた水は、我々の体内を循環し、また排出される。

    【作者解説】 成長と共に隠されていく情念や衝動を、「覗き見る」という後ろめたい行為によって再発見しようという試み。
    最初は「とにかく絵をたくさん描こう」というスポ根精神で作り始めた。大半が下書きをせずにペンで一発描き。瞬発力で作った作品。


    へいたいがっこう
    貧しい家の子供たちが通う「国立平和共栄学校」。ある日主人公の「僕」は、かつての生徒の日記を発見する。そこにはおそろしい学校の秘密が書かれていた。

    【作者解説】 2011年3月11日、福島第一原子力発電所事故が起きた。以降、ネット上では様々な情報(その中には多数のデマも混じっていた)が飛び交い、日本中が混乱状態となった。
    当時私は大学3年で、就職活動をせねばならなかったが、就職試験には落ち続けた。自分は必要とされない人間だと感じた。
    社会全体を覆う不安と、自分自身の個人的な不安がグチャグチャと混ざりあい、生まれた異物が『へいたいがっこう』だった。
    ラストシーンは、作家・写真家の藤原新也の写真に添えられた「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」という言葉から発想。


    神話少年ミカド
    文明崩壊後の世界で、平和と秩序を保つ希少な地域「中つ国」は、「祭祀王ミカド」によって統治されていた。「日本」と「死」についての物語。

    【作者解説】 戦争・切腹といった日本特有の「死」のイメージと、日本の象徴である「天皇」のイメージを、エロティシズムと関連するものとして捉え、表現した。
    また、本作は日本の様々な文化や出来事のサンプリングにより形作られている。古今の日本の文化に見られる「聖と俗」「清と濁」といった相対する概念の混濁を意図的に作り出すことを試みた。